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世界をどう捉えるか - 価値観と優先順位

(2011-05-10 05:42:35) 下一个
 
 菅首相の浜岡原発の全炉停止の要請と、それを受けた中部電力の停止決定は、高く評価されていいと思う。浜岡原発は、近い将来に発生する可能性が高い東海地震の想定震源域の上に立地していることから、早急な対処が必要とされていた。
 なのに、この菅首相の英断に対して、大手メディアの論調が必ずしも手放しで歓迎していると見えないのはどうしてだろう。
 “突然”だとか、“法的根拠欠く強攻策”、“電力不足の不安”、“戸惑う…”など、マイナス要素の見出しが躍る。かと言って、福島第一原発の事故が依然として収束しない現状において、国民感情に添うならば、「停止は間違いだ、运転を継続すべきだ」という論調はあり得ない。全体としてはどうやら、停止そのものは賛成あるいはやむを得ないけれど、事前の話し合いもなく突然で、停止によって起こるいろんな問題をどうするんだ、ということらしい。
 今まで継続的に利用してきたものを止めるからには、いろんな新しい問題が発生するだろうし、雇用されている人も交付金を得る地元も株主も電力を使う産業界も一般家庭も、新しい処し方を考えていかなければならないだろう。

 国民の生命の安全ということを機軸に据えるならば、浜岡原発の停止要請は英断であり、評価すべきことであるはずだ。しかし、メディアに見られるこの戸惑いや不安は何だろうと考えたとき、それは変化への恐れではないかと思った。この決定が日本のエネルギー政策に関わる従来の流れを大きく方向転換させるきっかけとなるならば、今までその流れに乘って生活してきた私たちはいったん船を降りる覚悟が必要だ。

 東日本大震災を経て、思い知らされたのは、この世界はいやおうなしに突然生命や安全な暮らしを奪われる危険に満ちた世界である、ということだ。なぜか理由はわからないけれど、今まで国家の根幹に国民の生命の安全を保障するということが抜け落ちていて、それは本来経済や短期的な利潤よりも何よりも優先されるべきことであるのに、ただ経済的成長へと流れに身を任せた生活はそんなことも忘れさせ、震災と原発事故によってむき出しになった世界の危険性に、多くの人は突然気がついた。
 そうした恐ろしい現実を直視するならば、その現実に合わせた新しい機軸、方針を打ち立てなければならない。民間の利潤や個人の利益、経済的な損得を脇にのけても優先しなければならない決定を行うことのできる国家の力というものを見直さなければならないと思う。

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 ついさっき、テレビで、スズキの会長の浜岡原発停止に関するコメントを聞いた。
「夏場に向けて電力供給の懸念はしているが、停電はないのではないか」「昨年ピーク時の電力需要でも、原発が止まっても供給の方が上回っている」という見解を示した上で、(中電の停止決定については)「地元企業としても、日本人の一人としても高く評価したい。浜岡原発の近くには相良工場もあり、従業員の安全確保を考えるとホッとしている」と述べた。

 一方、経団連の会長は、9日の記者会見で、「電力不足の中で菅首相がただ30年間で87%の確率で東海大地震が起こる可能性を根拠にして停止を要請したことは唐突感が否めない」と語り、「誰がどのようにして議論したのか、根拠を示したうえで説明する必要がある」と厳しい口調で、要請にいたる経緯が説明不足であるとの認識を示していた。

 同じように功成り名を遂げた財界人であっても、世界をどんなふうに捉えているのか、人によってこうも違うものかと、驚く。



 
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