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大きな日本人は小さな世界に住む

(2009-10-17 22:44:36) 下一个
 
 9月30日の朝日新聞に日本文学者のドナルド・キーン氏のインタビューが掲載されていた。とても興味深い内容だったので要約しておこうと思う。
 見出しは『大きな日本人は小さな世界に住む それは国際化か』。

 氏は戦後すぐに東京を訪れている。この60年で日本は変わったか?という問いにキーン氏はこう答える。
 日本人は昔に比べると、大きくなった。それは日本文化と関係がある。終戦直後の天皇陛下とマッカーサーの写真が象徴的に示しているように、当時の日本人は外国人との付き合いが苦手であった。しかし戦後日本人は大きくなるにつれて自信がつき、外国人に対する苦手意識もなくなった。経済大国になって外国の文化的なものまで買いあさるような行き過ぎた“国際化”も進んだ。
 しかしかつての日本は外国のことを正しく知ろうとし、また喜んで学ぼうとしていた。それが日本の文化を非常に水準の高いものとしていた。

 また日本人の暮らしぶりも大きく変わり、“個人主義”の傾向が強くなっている。これも一種の“国際化”である。マンションの廊下で隣人とすれ違っても挨拶もしない。「大きくなった日本人は小さな世界に住むようになった。その世界は自分のもので、他人のものではない。」
 しかし一方でキーン氏はこう考える。
 「実は、個人主義について、本当は分からない。何か大きな危機があると、個人主義を忘れるのではないか、とも思います。…日本人は深いところで、それほど変化していないと思うのです。」

 ある種の“日本人の好み”は変わらない。
 「国際化が進んでも、日本人は自国意識が外国人に比べて強いと思います。日本人の好きな色を見ても車は白、黑、灰色が圧倒的です。原色は少ない。若い人が赤い服を着ても、髪の毛を緑に染めても、車の色の好みは変わらない。」
 陶芸や建築の分野で日本人はすばらしい美意識を持っている。そういう美しいものや自然への憧憬と調和と簡素さを求める日本人の心は変わってない。

 キーン氏は戦時中に日本兵の日記を翻訳したことから、一貫して文学者たちの日記に関心を寄せてきた。それは日記にはそれそれの個性や人間味が表されていて、それは極めて普遍的で、人間ならみな同じようなことを感じると思われる内容が書かれているからである。
 彼は87歳でなお、コロンビア大学で教壇に立っている。彼の以前からのテーマは、日本人がどういう風に外国の知識を自分のものにして、日本の文化をより豊かにしてきたか、ということである。日本人、特にものを書く人には古典文学を読んで欲しい。外国にはない日本のすばらしい財産である。

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まとめ:

 日本人は身体的に大きくなるにつれ外国との付き合い方もグローバル化し、内と外の意識も薄れ、行動も思想も広い範囲を自由に行き来するようになったように見える。しかし、一方でかつてのように海外のすぐれた文化を積極的に摂取しようとする意欲は薄れている。
 日本が豊かで高い水準の文化を育んできたのは、古来謙虚に積極的に異国の文化を学び取り入れ自己のものとしてきたからだ。そうした過程によって、日本は文化的水準の高さを誇ってきた。
 外国人との付き合いが苦手だが異質なものを積極的に受け入れ消化しようとしていたかつての小さな日本人と、大きくなって堂々と世界に出てはいくが他の文化を異質とか優れているとか意識せずに当然のようにただ受け止めながら自分の世界に閉じこもる日本人と。
 今の日本は昔に比べて本当に国際化されているのだろうか。
 むしろ古典的な日本の文学の中には、普遍的な、グローバルに通用する感情や心理が人間味のある個性を伴って表現されていた。そういう豊かな感情を日本人は大切にして欲しい。
 …これは私なりのまとめ方、感想で、キーン氏の本意をきちんと汲み取っているかどうかはちょっと自信がない。


 
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